夏とあの時の思い出

暑いですね。

川﨑です

2022年の夏のことでした。

東北に一人旅をしていました。

7分位の長めのスライド動画です。

気仙沼まで行ってきました。

1人の運転で行けるであろうギリギリの距離だったのと

一度は行ってみたい土地でした。

色々なことを感じたいい旅でした。

残念なことと言えば

現地の人とあまり触れ合わなかったことです。

そして2日目の震災遺構(旧気仙沼向洋高校)を見た時の驚きはいまだに忘れられません。

見学前にドキュメント映画を見たのですが

そこで言葉を失い

実際の見学で

高校の校舎の3階くらいに車が横転しているのを見て

「嘘でしょ」

と心の中で思ったのでした。

自分が「東北地方太平洋地震」に遭遇した時は

高速道路のPAで厨房スタッフをしていた時でした。

地震があった時はちょうど事務所のある2階の休憩室で休憩してました。

ぐわんぐわん揺れて

テレビが落下しそうになったのを社員さんが抑えようとしたから

「危ないからダメ」と言う声があがりながら

逃げ道を確保しようとドアを開放したりで

騒然となりましたが

揺れがなくなって落ち着いて

厨房に戻ったら

フライヤーの油が溢れていたり

厨房も大変みたいでした。

ホールのテレビを眺めていたら津波が街を覆う様子をリアルタイムで見て

驚くばかりでした。

そこから数日は物流が止まり

高速道路は通行止めで

近くのICでは大渋滞で

ガソリンの給油も大変だったなぁと思い出したのです。

その比にならないくらい

当時の三陸地方は想像を絶した大変さだっただろうなぁと

思うのでした。

当時、かわさき君は写真撮りに行かないの?

と言われたけど

被災された人達の思いを思うと

行こうとは思えなかったです。

旅の話に戻りますが

いろいろなハプニングで予定変更があったりしましたが、

最後は自分で決めないといけないと言うのが

なんか良かったです。

美味しいご飯に巡り合ったり

ちょっと節約でコンビニご飯だったり

2日目は15時くらいにホテルに戻ってそのまま

寝てしまって、夕飯はホテルのパンフで見つけた

ラーメン屋さんにカメラ片手に出かけ

ネギラーメンをいただきました。

3日目は松島に行った後

そのまま帰ろうかと思ったけど

よーこさんがイチオシの

青葉城のずんだ餅食べてきなよと言ってくれて

青葉城に向かいました。

青葉城に向かうものの車のナビではうまく案内してくれなくて

最終的にスマホのグーグルマップを使っていきました。

ナビのルートが工事中か何かで通行止めだったみたいです。

それもまた良き思い出

ずんだ餅をもぐもぐした後

伊達政宗像を見ようとしたら

改修工事中で拝めませんでしたが

上の動画にもありますが

粋な計らいがされていました。

クライマックスは

仙台駅で牛タンを食べるという

ミッションでした。

半分迷子になりながら

駅ビルに入っているお店は

ハズレが少ないと信じ

選んで入った牛タン屋さんで

30分くらい待ちましたが美味しく

いただき帰途につきました。

仙台はとても過ごし良さそうな都会でした。

行きも帰りも

福島原発のあたりは殺伐としていて

片道1車線で道路に凸凹が未だにあったり

放射能の濃度表示板が度々あって

放射能汚染で住めなくなった土地の人を思うと

やはり言葉にならないのでした。

そして夜に無事に帰ってきました。

旅のお供に聞いていたアルバムは主に

オザケンのアルバムの「LIFE」でした。

「ぼくらが旅に出る理由」

がこの旅のテーマ曲でした。

いつかこの時の旅の様子をまとめたいと思ってました。

失敗写真を除く700枚の中から選んで

動画にしました。

また元気が出て

バリバリ稼げるようになったら

旅に出たいと思うのでした。

かわさき

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