プロのカメラマン
になりたいと
思い始めたのは
高校時代からでした。
ただ高校時代は
写真部にあこがれながら
長年続けていた剣道部に入りました(断れなかったのです)
母は画家でした。でもその血は継いでないかと思えるくらい絵は苦手
そこで写真なら風景を切り取るだけで大丈夫だという
単純な動機ながらも憧れを抱きました。
大学生になってリコーのコンデジ(45万画素くらい)を1997年に買い色々と撮ってました。
愛猫だったり家族だったり風景だったり
そして大学卒業し就職したのは、猛烈なブラック企業でした。過酷な環境でしたが写真と言う趣味が人生を明るくしていました。
ただ過酷さがゆえに体調を崩しやめることになりました。
しばらく静養期間が必要でした。
静養期間はカメラ片手に神奈川の観光名所だったりお祭りだったり風景を撮ったりしてました。
2009年ころ尊敬する写真家が登壇すると言う事でCP+と言うイベントを知りその同時開催の「御苗場」と言うイベントがあることを知りました。
御苗場は出展料を払えば自由に表現できる日本最大規模のグループ展です。
そして2010年に参加した際、【PHaTPHOTO写真教室】に出会いました。生徒さん達の写真が自分にはないカラーだけどとても素敵でビックリし、同時に憧れました。
その頃から、プロカメラマンになることを意識してました。同じ時期に通信の写真講座を受けていて、先生に「プロカメラマンになりたいのですがどうしたらよいのですか?」と質問したら「コンテストに応募するといいですよ」とアドバイスがあり、とある雑誌に何度か応募するも予選通過すらなく、ある時自分の写真のカラーは雑誌「PHaTPHOTO」の方が楽しそうだと思った時にタイミングよく PHaTPHOTO写真教室と言うのがあったと思い、調べてタイミングよく入学しました。
私自身、協調性がなく自分が自分がと言うような性格でしたが恩師の杉原先生をはじめクラスメイトがみんな素敵で暖かく受け入れてもらえたのは今でも感謝しています。
無事に3年の過程を経て更に専科クラスにも行き、ご縁があり個展も開けました。そして2016年12月に妻よーこさんと交際を始めました。
よーこさんはとても理解のある人で、母は現代美術家協会(現展)の元準会員でしたので自分もチャレンジしたいと言う思いがありました。ただ母が難色示したので悩んでた際よーこさんから「貴方が思うようにすれば良い」と背中を押してもらい応募したらなんと入選しました。現展でWEB審査と言う制度ができたのも大きかったです。
よーこさんとは職場の元同僚でした。自分が仕事について努力をしながらも大変な思いもしているのも理解してくれていたのですが、本当にやりたい事は何だろうと思った時にプロのカメラマンになりたい思いは変わらずありました。会社で内緒にしてましたがカメラマンのアルバイトもしてました。そして機材もある程度揃ったタイミングで、自信もつき背中を押されて2018年4月からカメラマンに転向をしました。
最初はスタジオ系、結婚式や成人式などの撮影する写真館に応募するもなかなか決まらなくてめげそうな中、思い出した事がありました。
一眼レフを始めた頃、大学の研究室の同窓会で仲間に「修学旅行などの引率カメラマンになりたい」と話していた事です。
それでスクールフォトグラファーの道を歩みました。最初は枚数撮っても半分はボツになる感じ、それでもめげずに努力しました。仕事量も最初は乏しく苦しかったです。
だんだん実績を重ねながらも課題は常にありました。
2021年3月末でフリーランスを廃業しました。
理由はいろいろとありますが修学旅行の引率などできて夢は実現したので後悔はしておりません。
その後、近場に職を見つけ一年半働き
頑張りすぎて心を壊してしまい
辞めることになり
現在療養中です。
そんなときも家族の支えがあって
ありがたみを感じています。
これから先は分かりませんが
家族の思いを大事に
誠実に生きていこうと思ってます。