どうもおはようございます。
かわさきです。
2005年の春に父が亡くなったのですが
この日は弟が実家を離れる日
父が急変した際
呑気に弟は家を出発しようとしたそうで
当時看護師だった母親に
「あんた何考えているの?どう見てもヤバいでしょ」
と
かわさきには朝4時ごろ電話があるも
深夜残業が続き全く気づかずで
電話がつながった際
実家に戻ってくるように
車は使うなとの事で
何も考えずに実家に向かいました。
電車の中で電話があり
焦らなくていいから
最寄りからはタクシーを使うように
との事で
帰宅
ベッドの上で父は
訪問看護師さんと母と弟にゴシゴシ体を拭かれていて
???
となりましたが
母が
「お父さんの手を握ってご覧、まだ暖かいかも知れないよ」
その時に全てを察しました。
1週間前に実家で寝ていた時
父の呼吸が止まりそうで怖かったのと
母が父のことを危ないとも言わず、でも長くはなさそうだ的なことを
言っていたのもつながりました。
1週間前、父が髪を刈って欲しいと言ってたのを
「また今度ね」
と言ったのが叶わなかったなと思ったり
父とは水と油の関係の弟が
会社の上司に父のことを報告する際
取り乱して号泣しているのを見て
驚いたのでした。
父の葬儀は表面上は温かいものでした。
親族が父の戒名で「修士」なのが気に入らず
川﨑家は代々「居士」だったと言い出し
他の親族が「大した居士でもないくせに」
となりバチバチになり母親は父の葬儀に何やっているんだと怒り心頭
ただ、近所の人達や、母の学友(40代半ばで看護学校に行きました)
弟の学友や職場の同僚、自分の学友や職場の同僚、父の同僚が集まって
特に父の同僚が多く集まって
亡くなった当時に元職場の掲示板に
父の訃報が貼られたそうで
お通夜から本葬までたくさんの人がやってきて
温かい葬儀となりました。
父が亡くなるとどうなるのかなと若い頃思ってましたが
一年位、毎日父のことを思い出して
次第に薄くなるものの
近くにいてくれる気がするのです。
父が亡くなって戸籍謄本を取ったときに
川崎ではなく→川﨑
が正式だったと知り親族一同驚愕したのは覚えています。
(親族全員知らなかった)
葬儀屋さんに父を火葬場に送り出す際に音楽を流せますと言うことで
ザ・ピーナッツが好きだったからとCD屋さんで探して
オムニバスのCDに1曲あったので掛けたり
父の遺影と自分と弟の顔が似ていて判別つかないと
ざわざわしていたらしいのも
今ではいい思い出です。
父は子育て卒業の日に安心して旅だったのだと思うのです。
お父さんへ
今、私は元気でやっています。
そちらでもどうかお元気で
ただ、一度だけでも居酒屋でサシ飲みしたかったなぁ。
かわさき






